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三翠園歴史探訪
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山内一豊・千代ゆかりの地
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この長屋の立つ敷地は、幕末に家臣7人の屋敷地を召し上げて藩主であった山内容堂の下屋敷がもうけられたところです。長屋についての記録はありませんが、その時建てられたものと思われます。
屋敷は明治維新後、山内家の私邸となりましたが、戦後売却され、その大部分は、三翠園の所有となっています。昭和53年、長屋(建物)は高知市に譲渡され、同54年、国の重要文化財に指定されました。同55年2月保存修理に着手、56年9月に完成しました。
長屋は旧屋敷地の西端にあって道路に面し、桁行17間半、梁間2間半で南北に長く、2階建、入母屋造、東面に庇をつけ屋根は桟瓦葺です。1階は7区画にわけられ、4部屋は畳敷でその他は板敷と土間です。2階は3部屋にわけられます。また2階への昇り口は2箇所あります。建物はこの140年余りの間に度々改造されていたうえ、白蟻の被害がいちじるしかったのですが、柱等の軸部に当初の材がよく残されていたため、調査と解体修理によって復元することができました。この種の本格的な武家長屋は全国的に少なく、貴重だといえます。
■開館時間/7:00〜17:00 入場料/無料
この書は、大正天皇が皇太子であられた明治40年(1907)この地にご宿泊の際、鏡川の美しさを“水よき哉(かな)”とお褒めになり「水哉閣」と命名され、随行の東郷平八郎大将に命じて墨書させ賜ったものです。平成10年「水哉閣」の跡地に温泉館を新設するに当り、「湯殿・水哉閣」と名付けてその歴史を永く後世に伝えることとし、この書は温泉館に展示しております。
昭和25年(1950年)3月22日、23日、昭和天皇高知県行幸の際、当館にご宿泊になられたことを記念した黒松が保存されています。
維新年度、山内容堂が薩摩藩主島津久光の使者として来高した西郷隆盛と会見した物見亭は現水哉閣あたりといわれています。
歴代のはりまや橋のうち、明治41年から昭和4年まで架設されていた橋が当館の敷地内に保存されていましたが、平成10年高知市寄贈し、今はレプリカとして園地内に名残りをとどめています。
藩主時代に各地の大名から寄贈されたさつきは今も毎年5月中旬から下旬にかけ競い合うように開花します。
重要文化財 天守・追手門等15棟
昭和9年(1934年)当時の国宝保存法により国宝の指定を受け、左の石碑はその記念碑です。昭和25年(1950年)の文化財保護法制定により重要文化財と名称が変更されました。
慶長6年(1601年)土佐24万石を襲封した山内一豊公によって創建、その後城下町の大火で追手門を残しほとんど焼失。宝暦3年(1753年)再建、現在に至っています。明治維新後、公園化のため多くの建造物が破壊されましたが、本丸及追手門等15棟が残され城跡と共に創建当時の形がほぼ完全な状態で残っている全国でも有数の名城です。
沿革
平成7年5月1日、高知県は旧土佐藩主山内家に伝来した資料の保存と公開を目的として資料館を設置し、土佐藩の歴史や大名家の生活を主題にした展示を行っています。高知城内にあった山内家伝来の資料は、維新の後に順次東京と高知にそれぞれ置かれた御蔵に移され、山内家の職員によって厳重に管理されていました。維新の混乱や関東大震災、昭和20年の東京と高知の空襲により一部が失われましたが、現代美術工芸品が2千点、古文書が3万点書籍類が4千点現存し、「山内家資料」として公開されています。大名が伝えた貴重な資料を通じて、江戸時代の歴史や文化に触れることができます。
■入場料/大人300円 開館時間/午前9時〜午後5時 所要時間/30分
明治4年廃藩置県の年の3月、最後の藩主で最初の知藩事山内豊範公が祖霊を祀るため、藤並神社の御旅所のあった場所に社殿を造り、三代忠豊公より十四代豊惇公の霊を祀られました。昭和7年、十五代豊信公・十六代豊範公の幕末維新における功績を顕彰するための神社を新たに造ることとなり、両公を除く歴代藩主の霊を藤並神社にうつして、新社殿建造工事にかかり、昭和9年4月落成。ここに「別格官弊社山内神社」が創建されたのです。昭和20年、戦火により両神社とも焼失したため、戦後それぞれ仮宮を建て祭祀を続けました。昭和45年社殿を再建して藤並神社と合併し、藩主一豊公同夫人j以下歴代藩主を合祀し、平成2年7月もと高知城内にあった熊野・春日・住吉の三社を境内に遷しました。
南海の名大名として世に知られた山内容堂(豊信公)は22歳の時、山内家の養子として15代藩主となりました。藩内では吉田東洋を起用し藩政の改革を進めるとともに土佐勤王党を弾圧、公武合体論を唱えました。慶応3年(1867年)将軍徳川慶喜に大政奉還をすすめ成功します。また、「鯨海酔候」の称号をもち、酒を愛し、漢詩をつくり書を書く傑者でした。
追手門広場、県立図書館前に土佐藩初代藩主、山内一豊の像があります。夫人千代の内助の功が出世の糸口になったというエピソードは有名ですが、一豊その人も優れた武将でした。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という3人の天下人に仕え、順調に出世しつづけ慶長5年(1600年)徳川家康の会津征伐に従軍、関ヶ原の合戦での功を認められて、土佐24万石の領主に抜擢されました。
三の丸の手前の杉ノ段に、初代藩主一豊の賢夫人が、名馬のかたわらに立つ像は有名です。内助の功の伝説を顕彰して、1965年、高知商工会議所婦人会(現在の女性会)により建立されました。制作は山口栄太郎、「山内一豊之妻」の題字は元総理大臣吉田茂の筆によるものです。杉の段の名称は、かつてこの場所に杉の大木が鬱蒼と茂っていたためといわれてます。名馬の名は「太田黒」又は「唐獅子」の2説がありますが、「太田黒」でなないかといわれています。
・入山は15時30分まで
・駐車場はありません
・入山には事前に予約が必要です。
詳しいお問い合わせなどはこちらまで
土佐山内家宝物資料館
電話・FAX:088−873−0406
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